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遠い昔のお話です。

最近、山登りをやるようになって、ちょくちょくJR千葉駅を中心とした千葉市の中心街へ行くようになりました。通勤方向とは逆ですので、千葉市民でありながら以前は1年に1回行くかどうか・・・という状態だったのですが、千葉パルコに好日山荘が入っている関係で山関係の買い物のために行くことが増えました。まともな山道具屋さんは、自宅の近くではここと津田沼のヨシキP2くらいです。手っ取り早く買い物を済まそうとすると選択肢はそう多くありません。もっとも、品揃えは両店とも都心の専門店とは較べるべくもありません。最終的に手頃な商品が見つからず、上りの快速に飛び乗って御茶ノ水・神保町界隈まで行く羽目になることも結構あるのですが。

千葉駅周辺は高校時代は毎日のように歩き回っていましたが、この数十年で駅前の風景も大きく変わりました。ロータリーは綺麗に整備されてバスへの乗り降りが容易になりましたし、ロータリーのすぐ前を横切っていた道路も地下トンネル化されてすっきりしました。極めつけはロータリー上部に設置されたモノレール駅で、3方向のモノレール路線の起点となっていてかなりの高度をモノレールが走り回っています。

ただ、休日の改札前の雑踏は昔も今も変わらず。改札が自動改札になり、場所も昔よりも出口に近いほうに寄っているのですが、乗り降りする人で引きも切りません。買い物の帰り、ふたたび電車に乗ろうとしてこの改札に向かうたび、私はフラッシュバックに襲われます。もう随分前からなので慣れっこになっているのですが、ポニーテールの小柄な女の子が改札のほうへ歩いていき、改札の手前で一度こちらを振り返り、2・3度笑顔で手を振ってから・・・彼女の姿は夕方のラッシュアワーの人込みに飲み込まれて見えなくなります。この光景が今でも目に焼きついていて、まるで昨日の事のように再生されます。

今日の話は、山の話でもラジコンの話でもありません。とりとめのない昔話です。暇でない方は飛ばしてしまってください。





彼女は高校時代の同級生でした。1年の時は隣のクラス、2年の時は同じクラスで、3年になると理系と文系で分かれてしまいました。当ブログのラジコン関係の記事に何回か登場している友人Eですが、この男が結構顔の広い男で、入学して間もない頃、隣のクラスの子だよと紹介してくれたのが彼女でした。すぐに仲良くなり、本を貸したり借りたりとかしていたのですが、ある時体育の授業(3クラス合同でした)の際に校庭の隅で制服姿のまま立っている彼女の姿を見つけました。
「どうしたの?風邪でも引いた?」
「あ、アタシ、体育の授業には出られないんだ。子供の頃、心臓が悪くて手術したんだけど、今でも運動は医者に止められてるの。」
「ふぅ~ん」
これは非常に意外でした。かなり活発な印象の子で、心臓が丈夫でないようにはまったく見えなかったのですが。

2年に進級し、新しいクラスに入ると彼女がいました。「今年は同じクラスだねっ」と言ってくれた時の笑顔をいまでもはっきりと覚えています。同じクラスになったこともあり、二人で遊びに行くことも増えました。毎年恒例の市の花火大会を人込みをかき分けかき分け見に行ったり、埋立地に作られた人工海浜で東京湾の向こうに沈む夕日を暗くなるまで眺めていたり。クラス旅行で訪れた冬の九十九里浜では、真っ暗な海岸で冬の星座をいつまでも辿ったりしていました。

ただ、彼女と私には決定的な違いがありました。彼女は校内でもトップクラスの秀才だったんですが、私は常にビリから数番目をウロウロしている落ちこぼれでした。まったく、なんで私なんかとつるんでいたんでしょうね。定期テストのたびに彼女からノートを借りてヒーヒー言いながら書き写したりして、ずっと迷惑をかけっぱなしでした。

私は高校へは片道12kmの距離を自転車で通学していたのですが、彼女の家は通学途中に通過する団地の中にありました。学校帰りにたまに彼女の家に立ち寄らせてもらったりしていて、彼女の家族とも自然と親しくなりました。家には彼女が子供の頃から続けているピアノが置いてあり、ベートーヴェンのピアノソナタなどを小柄な体からは想像も付かないような、往年のバックハウスを思わせるような骨太の演奏で弾きこなしていました。一時期、真剣にピアノの道へ進むことも考えていたそうなのですが、体が丈夫でないことから断念したと聞きました。まったく、天は何故同じ人に二物も三物も与えるんでしょうね。

そのうち3年生になり、私は何故か理系クラスに入ったので彼女とは理系と文系で離れ離れになりました。大学受験を控えた時期ですが、間の悪いことに彼女のお母さんが大病を患って長期の入院をすることになり、彼女が弟2人の面倒を含め、家事一切を行うことになりました。あまり丈夫でない彼女にこれは体力的に堪えたらしく、本命の大学に落ちて浪人する羽目になってしまいました。彼女の普段の成績からするとちょっとあり得ない話だったんですが。ちなみに私は当然というか、最初から現役で大学に入る気なんぞ微塵もなかったので早々に浪人確定でした。

卒業後、予備校に通うようになりましたが、こちらも彼女と同じ予備校でした。今ではあり得ないんでしょうが、当時は人数も多かったので予備校の入学式(!)を武道館でやっていました。仲良く入学式に出席、千葉から毎日の予備校通いが始まりました。もっとも、彼女と私では通っているコースにかなりの差がありましたが。

さて、この先は私にとってちょっと書き辛い・・・面目ない話になってきます。彼女は1年後、無事目標の大学に合格して大学通いを始めましたが、私は・・・予備校を途中でドロップアウトしてしまいました。親父とも大喧嘩をして家を出、都内の安アパートでプータロー生活を始めることに。真に恥ずかしい話なので端折りますが、2年以上そんなことをしていました。大学に入ってからドロップアウトした人はたくさん見てきましたが、私の場合は大学に入る前にやっちゃった、みたいなものです。

彼女とも当然音信不通になりました。こちらからもどの面下げて連絡していいのか・・・という状態ですから当然ですが、2年ほど経った秋のある日、彼女の方から突然電話がかかってきました。もちろん私は電話など引いていませんが、アパートの隣にある大家の電話からの呼び出しです。こういう光景も携帯電話が普及した現代ではまず見なくなりましたが・・・。彼女が電話番号を知っている筈はないのですが、ひょっとしたら私の実家の母から聞き出したのかもしれません。親父とは相変わらず絶縁状態でしたが。

とりあえず、私の住んでいたアパートが彼女の通っていた大学にあまり遠くはない場所にあったので、彼女の大学の構内で待ち合わせをしました。久しぶりに会った彼女は幾分大人びてきていましたが、昔と変わらない彼女でした。結局この日、彼女にはやんわりと・・・お説教を食らいました。キャンパスの外れにある野球場を尾根道のような小高い土手が囲んでいましたが、ここをぐるぐると歩きながら小一時間「何やってんのよっ」と諭されました。私もそろそろ何とかしなきゃ・・・と思っていた矢先でしたので、現状の打破を彼女に約束してこの日は別れました。

受験勉強などはもう何年もやっていなかったので、それでもどうにかなりそうな大学・学部を3校ほどチョイス、願書を提出しました。内申書を取りに母校まで行きましたが、もう知っている先生はいませんでした。受験した3校のうち、都内と千葉にある2校にどうにか合格できたので、このうち都内にあるほうに進学することに決めました。そしてアパートも引き払い、親父に土下座して実家に戻りました。

実家に戻ると、彼女の「おめでとう」というメッセージが届いていました。千葉のほうの学校は、新聞の地方面に合格者の名前がでるので、どうやらそれを見ていたようです。

私の入った大学は、4月1日から入学式だったので月初めからドタバタしていましたが、それが落ち着いたころになって彼女から電話がかかってきました。男物のネクタイを買いたいので、買い物に付き合って欲しい・・・という話です。実は、彼女の弟もこの年大学に入学で、入学式に締めていくネクタイを姉としてプレゼントしたい、ということでした。4月5日、千葉駅の改札前で待ち合わせて半年振りに彼女に会いました。
駅前のデパートでネクタイを物色しましたが、何せ私もネクタイなど締める生活をした経験がない頃ですから、情けないことに有効なアドバイスをしてあげることができません。結局、彼女が一番気に入ったということで、えんじ色系統のネクタイを一本購入しました。その後、買い物も無事終了してまずは一息・・・ということで、デパート近くの喫茶店に入り、ここでしばらく近況などの話をしました。

彼女は4月から3年次の専門課程に進んでおり、キャンパスも千葉に近い、通いやすい場所に移っていました。学科は国文科にしたということで、このところは前々から個人的に興味のあった道元の正法眼蔵をじっくり読み込んでいる、とのことでした。対するこちらは入学式が済んだばかりでまだ科目登録も終わっておらず、現状報告のしようがない状態でしたが。

そんな話をしているうち、彼女がいきなり「ねえ。彼女、いるんだって?どんな子なの?」と訊いてきました。

面食らいました。一体、誰から聞いたんだろ?実は私はプータロー生活を送るうちに、写真学校に通うカメラマンの卵の女の子と付き合い始めていました。私はしどろもどろになりながら、付き合っている子について説明を始めましたが・・・動転していて何を言ったかよく覚えていません。

彼女はそんな私を見て悪戯っぽくフッと笑い「キミがのろけるのは、はじめて聞いたぞ」と言いましたが、すぐに少し寂しげな顔になって窓の外に視線を移しながら「ワタシはずっと独りぼっちだな・・・」と呟きました。

私はもういたたまれなくなり、必死で話題を他に移しました。はっきり覚えていません。多分、彼女の弟の話かなにかをした筈です。彼女はそれっきり、その話題は振ってきませんでした。

そのうち帰宅する時間が近付いてきたので、彼女を千葉駅の改札まで見送りました。私は駅前から直通のバスで実家まで、彼女は隣の駅から住まいである団地へ行くバスに乗ります。彼女は元の笑顔に戻っており、「また電話するね。じゃあ、ね。」と言って改札のほうへ歩いていきました。改札の手前で一度こちらを振り返り、2・3度笑顔で手を振ってから・・・彼女の姿は夕方のラッシュアワーの人込みに飲み込まれて見えなくなりました。





それから10日ほど経った4月中旬のある日、コンパで遅くなった私の帰りを母が待っていました。そして、その母の口から出てきたのは、次の言葉でした。
「とても悲しい知らせがある。○○さん(彼女の苗字)が亡くなった。」
私はその言葉の意味するものを咄嗟に理解できなかったようです。
「いつ?また何で?」
「昨日の夕方。大学の廊下で倒れたらしい。原因はよくわからない。」
「そう・・・」
間の抜けた会話ですが、私の頭は最初の母の言葉をまだ理解できずに混乱していました。部屋に戻って母の言葉を何度も反芻しているうちに、突如何が起こったかを理解しました。いきなり涙と嗚咽が後から後から溢れてきて止まらなくなり、そのまま布団の中にもぐって何時間も何時間も泣き続けていました。

告別式は2日ほど後でした。彼女のお母さんに亡くなった時の状況を聞きましたが、授業の合間に教室移動で廊下を歩いている際に突然倒れたそうです。元々あった不整脈が重なって起きて心室細動を引き起こしてしまったのではないか、ということでした。大学の医学部付属病院がすぐ近くにあり、救急隊がすぐに集中治療室に搬送したらしいのですが、彼女が蘇生することはありませんでした。

この年は桜の開花が遅く、告別式の日も斎場にはまだ桜の花がたくさん残っていました。昼頃から風が強くなり、残った桜の花びらが一斉に散り始めました。花吹雪の中、彼女は一握りの灰になっていきました。





彼女は今、千葉市郊外の公園墓地の一角に眠っています。墓誌には満年齢で「行年21歳」と記載されており・・・彼女は永遠に21歳のままです。あれから29年目の春がやってきて、私の方は髪の毛に白いものが目立つようになって来ました。でも、あいかわらず馬鹿ばかりやっています。次に会った時、きっと彼女に「何やってんのよ」と笑われることでしょう。
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切ないです

お早うございます。
大変貴重な想い出話をありがとうございました。

続けてですが、何回も読み直しました。

なんだかとても胸が熱くなり、恥ずかしながら・・・頬を濡らしてしまい
ました。映画や小説でもそうですが、「心の琴線に触れる」内容である時
に、私の中のある種のスイッチが押されます。

すると、"その"主人公と私自身が同化、もしくは入れ替わっており、今回
も私は、お母さまからの報告を受けた徒骨亭さんご本人になっていました。

無論、それだけで感情が溢れたのではなく、私自身の過去の女性と、重な
る想い出との相乗効果がそうさせたのだと思います。

私は高校時代は男子校だった為、色恋の想い出は一切無いのですが、中学
時代に仲の良かった(学校の中だけww)おさげ髪の彼女が突然居なくなり
ました。

私は、彼女が転校した翌日に彼女がもう登校しない、顔も合わすことが出
来ないことを知りました(その時は別のクラス)

彼女が居なくなる前の、直近の会話が「K君なんて大嫌い!!」でした。

私は中1でクラスメートとなったその時から、彼女に淡いもしくは淫らな
(笑)恋心を抱いていたのですが、多感な年頃でもあった為、「嫌われた
のか」と言動をそのままに受け止め、他の女の子に誕生日プレゼントを手
渡していた馬鹿者でした(^-^;)ゞ

その後、彼女の所在は一切不明です。

中3の春の穏やかな須磨海岸で、普段のおさげ髪を解き、少しウエーブが
かかった黒髪が潮風になびいている横顔が今でも忘れることが出来ません。

偶然見かけたその時に、私は眩しさの為、彼女に声を掛けれませんでした。

当時、彼女は郷ひろみのファンでよく教室でも鼻歌を歌っていました。
「逢えない時間が愛育てるのさ、目をつぶれば君が居る~♪」

私の恋は育くむことはなかったのですが、想い出は形を変えながらも、永
遠に残っています。

と、私自身の長々な想い出話となり申し訳ございません。

大人になって、人間を長くやっていくうちに、世間に揉まれ、妄想だなん
だと言っている私ですが、実は感受性が少し強い、ただの猫好きの親父に
変化しているのかもしれません(笑)

Re: 切ないです

nekotakunさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

生き別れにしろ死に別れにしろ、二度と会うことのできない人への想いを持ち続けている人は結構いるんじゃないかと思います。で、そういう人の面影は別れた時のまま、何十年経っても変わりません。例えこちらが白髪頭の年寄りになってしまっても。感傷だと笑うひともいるでしょうが、私は笑わば笑え、それでもそれが俺だ、くらいのつもりでいます。

ちなみに女房にもこの話はしたことがあるので知っているんですが、「何だか変なもの引き摺っているけど、それを含めてウチの亭主だ」くらいに考えているようです。年上の女房はこういった面ではありがたいですね。
プロフィール

徒骨亭主人

Author:徒骨亭主人
「むだぼねていしゅじん」です。「とこつ」ではありません。
主な関心事は電子工作、鉄道模型、空モノラジコン。その他、オーディオ、銀塩カメラ、クラシック音楽、映画などなど・・・何のことはない。どれも皆、昔ながらのオヤジ趣味ですな。最近は13年11月から始めた山歩きに熱中しております。
女房に頭の上がらない、小学生の息子を持つ父親です。

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